栄枯盛衰のブロック建築ストーリー
ブロック建築はレンガ建築の弟分
レンガやブロックをなどを積み上げて造る組積造(そせきぞう)は明治時代のころから普及したようです。富岡製糸場や法務省赤レンガ棟など近代化の象徴でもあったのですね。現存するものは重要文化財や近代遺産に指定されています。ちなみに広島の原爆ドームも大正4年に物産陳列館として建てられたレンガ造の建物だったのですよ。
このレンガ建築より少し遅れて登場したのが、ブロック建築です。
ブロック建築は鉄筋コンクリート造りより人気者でした
ブロック建築は明治時代中期に外国からきた鉄筋コンクリート造りより、断熱性・防湿性・コスト・工期が優れていると、高く評価されました。
大正時代には耐火建築として位置づけられた建物として、特許や実用新案がたくさんでてきたということです。関東大震災の後には、簡易で安価に施工できる耐火建築用構造材として様々なものが考案・製造されました。このころのブロック建築は見た目もいいし、中身も頑強と、かなりモテモテの時代だったのですね。
ブロック建築が急にモテなくなった理由
昭和に入って補強コンクリートブロック造りの建物が全国的に普及しました。補強コンクリートブロック造りは鉄筋コンクリート造りの一種という新たな構造形式として確立されたのです。
しかし、昭和50年代には、軽量気泡コンクリートやコンクリートパネル等の普及により、ブロックの需要が減少したのです。その上、小規模な企業による低強度・低品質のブロックが供給され、建物としては負のイメージになってしまったことがあるようです。
今のブロック建築は時代のニーズに応え見直されている
ブロック建築は補強組積造に関する日米大型共同耐震実験研究において、一般基準化されたことで、鉄筋コンクリート組積造(RM造)という新しい概念の構造形式を持ち、5階建てまでの建築が可能となりました。また平成においては、補強された組積造が優れた耐震性能を持つことが、「阪神淡路大震災」や「東北地方太平洋沖地震」でも高く評価されています。